「 国難に総力結集出来ない菅首相 」
『週刊新潮』 2011年3月31日号
日本ルネッサンス 第454回
緊急時における原子力発電の三つの鉄則、「止める、冷やす、閉じ込める」は福島では3月22日現在、「止める」だけが守られている。
米国の雑誌『タイム』は3月28日号の日本特集で、「世界で唯一地震予知システムと津波の警告システムを構築した」日本で、地震発生時に福島第一原発が止まり、さらに建屋が爆発したことは蒸気圧を逃すための「設計の意図に沿う動きだった」と指摘し、日本の原発が基本的に機能したことに触れつつ、津波が残した惨状を報じた。
いかなる予測をも超えたのが津波の被害だった点で、内外のメディアは一致する。犠牲者は万単位に上ると見られるが、岩手県陸前高田市の犠牲者126人の調査では、約9割が水死と推定された。阪神淡路大震災では死者の多くが火災の犠牲者だったが、東日本大震災で圧倒的多数の命を奪ったのは津波だった。
そうした中、「ニューヨーク・タイムズ」紙のニコラス・クリストフ記者が「日本人からの学び」として書いた記事が目を引いた。
報道における最高の栄誉、ピューリッツァー賞を2度受賞、90年代の5年間を東京支局長として過ごした氏は中国情勢にも詳しい。右の記事で「自分は日本に敵対的(hostile)」と見られてきたと書いたように、氏には中国寄りの姿勢もたしかにある。尖閣諸島に関しては、中国の主張に分があるとブログに書き、日本政府の反論を「説得力がない」と退けた。だが、氏の日本批判は、「日本政府の無能力と二枚舌」政治への批判であり、事実は「自分は日本人の礼儀正しさ、無私の精神を賛美するようになった」と書いている。
その人物が今回、米国人は日本人から学べというのだ。福島第一原発で作業する人々は「無私の精神、克己心と規律」で「不平も言わず、無名の作業員」として、他者に災害が及ぶのを防ぐため命を懸けて試練に立ち向かっていると書いた。
日本に厳しい氏でさえ讃える日本国民の資質に較べて、日本政府の対応は国家の体をなしていない。地震発生から丸11日が過ぎた3月22日現在も、菅首相は安全保障会議も中央防災会議も開いていない。安保会議を開催し、警察法71条及び72条に基づいて緊急事態を布告すべきときに、日本国最大の危機に対処する基本的枠組みが作られていないのだ。
元凶は一にも二にも官邸
非常時に首相に大権を与える法律は3つある。第1は前述の安保会議と警察法である。第2が自衛隊法76条による防衛出動、第3が災害対策基本法28条による緊急災害対策本部の設置である。危機管理の専門家で初代内閣安全保障室長の佐々淳行氏が指摘した。
「安全保障会議を開けば、首相以下、官房長官、防衛大臣、経済産業大臣、外務大臣など関係閣僚が招集されます。各大臣の下で官僚たちは被災者の救出と保護にあたり、原発事故の対処に必要な対策をまとめ、それに必要な物資や資材、機材が日本全国のどこにどれだけ存在するのかを調べ上げます。次にそれらをどこからどこへ、どのくらい運ぶのが最も効率的なのかなど、あらゆる選択肢を専門的知見に基づいて集約し、首相に提言します。国家の総力をあげて取り組む体制がこうして出来上がります。それを吟味して決断するのが首相の責任です」
菅首相はたしかに国家の総力をあげて取り組むと言った。が、そのための体制は作らなかった。結果、およそ全ての対策が後手にまわった。
たとえば原子炉圧力容器や格納容器内の温度を下げるために死活的に必要な海水の注入である。自衛隊によるヘリコプターからの注水はうまくいかず、警視庁による放水は確実に届かず、消防隊の放水も当初は効果が大きいとはいえなかった。東京都のハイパーレスキュー隊を中心とした緊急消防援助隊を投入し、彼らの決死の働きで漸く、最大の危機を緩和出来たのは周知のとおりだ。
これは総務省の所管だが、ハイパーレスキュー隊の投入は3月19日、事故から8日後だ。安保会議を招集していれば、こうした日本の持てる全手段が早期に活用され、原発の危機も緩和されていた可能性は大きい。
今回、首相は前述の第3の緊急災害対策本部を設置した。そのことは評価するが、首相が災害対策基本法の意味も意義も理解出来ていないために、全く結果を出し得ていない。経済戒厳令とも呼ばれる同法は、物流の統制権を首相に与えるものだ。蓮舫大臣が国民に買い溜め自制を呼びかける前に、首相はなぜ、全国の物流を割り振り、被災地への物資輸送を最優先しないのか。
その中で、決然と行動しているのは自衛隊と警察、そして消防隊である。しかし、被曝をかえりみず働く彼らの力でさえも最も有効的に活用されている保証はない。元凶は一にも二にも官邸である。官邸が機能せず、省庁間の調整が不十分だからだ。
国際社会の力のルール
一方、日本救援に立ち上がってくれた国際社会に、私たちは深く感謝すると同時に、世の中は親切だけではないと突きつけられたのが、3月17日の76円25銭の円高だった。復興のための資金需要で日本企業が海外資産を円に換え、円高になると見たヘッジファンドなどのマネーが動いた結果だ。天災で深手を負った国に対しても、情け容赦なく牙を剥くのが国際社会のもうひとつの現実で、それが国際社会の力のルールだ。
だからこそ、政府は原発事故に関する情報発信にも、非常に注意すべきである。情報の徹底公開に努めるのは当然だが、冷静さを欠けば情報公開は却って有害になる。
一例が首相の21日の指示、福島、茨城、栃木、群馬の各県産のホウレンソウとカキナ、福島県産の原乳の出荷の停止である。「(食べても)直ちに人体に危険はない」と言いながらの矛盾だらけの出荷停止だった。
翌日夕方の記者会見で枝野官房長官は同件について問われ、「保守的な厳しい基準を守っての出荷停止だ。逆に言えば、市場にあるものは完全に安心だということだ」と述べた。
であれば、最初の発表でその旨を最大限強調しなければならない。でなければ、こうした情報は実態以上に深刻な放射能被害として海外に伝えられ、日本の原発技術への疑問が不当に強調されかねない。
原発建設の動きは福島の事故で後退する。しかし温暖化対策の点から原発が注目される日も再び来るだろう。フランスなど他の原発大国にとって、いま、日本の技術を完膚なきまでに批判しておくことが、将来、彼らの技術に有利な国際環境を作ることにつながるとの見方も無視出来ない。現に水面下では熾烈な戦いが始まっている。現在はすべてが混乱の極みにあるが、長期的かつ戦略的視点で原発を考え、冷静な対応に徹すべき時だ。